昨日の不都合な真実の感想の続きです。いや、ちょっと話は反れます。
私の友人で、地球環境保護に関心の高い人が何人かいます。
かつて仕事をした仲間の中にはいわゆる「運動家」も多く、お金にもならないのに必死で環境保護や啓蒙活動に力を注いでいる人もいます。
そんな人たちと「何故、こういう問題に関心を持ったのか・・・」という話になることがあります。
すると、育った環境というのが見えてきます。
多くの人が
「母親の影響」
だったり、
「自分の育った緑豊かな環境を守りたい」
というような身近なところから始まっています。
私も平均的な日本人よりは環境(持続可能性)やエコロジーに関心は高いほうだと思うのですが、個人的な話をしますと、やはり母親がエコな行動をしていたことに影響を受けていると思います。小学生の頃から、うちの庭先には必ず牛乳パックが干してあり(もちろんリサイクルの為)同級生が不思議がっていましたし、洋服でも何でも捨てる前に再利用の方法を考える事を当たり前のように教えられました。
加えて、自分の育った土地が適度に田舎で、環境の汚れをしっかりと自分の目で確認できたことも大きいと思います。
東京で暮らして思ったことは、臭いものにはほとんどフタがされているということ。ゴミはどれだけ多くともいつでもマンションのごみ置き場の扉の中に置けて、生活排水が流れ出ているところなんて、目にすることはほとんどありません。
田舎はどうかというと、そこかしこにどぶ川があって、近寄るとヘドロは汚いし悪臭がスゴイ!その生活排水は、時にバスク○ンやシャンプーのような化学的な臭いとミックスされていて、家庭から排出された化学物質が自然の環境で分解できていないということがよくわかります。
これはごく身近な「不都合な真実」なんですよね・・・
東京での生活はそれさえも見えづらいことが多いので、フタの下を想像する力も必要だなぁ、とつくづく思います。